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Early Access Review
Norlandは、ありそうで無かった作品である。プレイヤーが感情移入できる、半プレイヤーキャラクターとしての数名の貴族たちが、「村の雑務にひたすら追われながらも」自身の小さな欲望を決してあきらめない、やけにリアルな物語がそこには展開されている。本作をこのように理解するには、まだ概念の落とし込みが甘くプレイヤーが納得できない部分が多いと私には思える(何の比喩なのかまるでわからない、ゲーム難易度調整のための粗雑な要素が多い)。ただ、それを差し引いても遊べるものにはなっている。色々と言いたいことはあるが、全体として、これはやっておいたほうがいいゲームだろうと初めに述べておく。

本作はやや難解である。建てられる仕事場や習得できる技術の種類が極端に多いわけではないが、それらを「どのような優先順位で作らなければならないか」、そして初期の「立ち上げ期間中には何に注意しなければならないか」といったことを理解するために、何度も初めからやり直さなければならないからである。たとえば「神聖なリング」や「戦士税」などといった、プレイヤーの足を引っ張るために存在する要素がある。これらは開発上の理由から導入された、"余計な"ゲーム的要素なので、始めたばかりのプレイヤーはゲーム進行上の計算に入れることができない。そのため何度も失敗し、リスタートして試行錯誤をすることになると思われる。言い換えれば、ゲームシステムがやや独特かつ非論理的であり、その雰囲気をつかんでスタートラインに立つ前の段階で、多くのプレイヤーがつまずく可能性がある。

いくつか具体的に言うと、内政ゲームだが内政プレイは原則許容されず、積極的な略奪推奨である。兵士は質か量かでいうと、質である。作中で『Crusader Kings』のような緊張感のある勢力間競争を期待するべきではない。本作の本質は、勢力の紛争を扱ったストラテジーゲームではなく、仕事場の配置を効率化する村づくりゲームである。

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技術の習得は、多くの村づくりゲームと同様、ゲーム進行に"必須"である。この点は本作も変わらないが、その表現は異なっている。技術は「書物を読むことで知る」知識、あるいは他の貴族たちとの会話のなかで自然に得られるものとして、あくまで与えられるものとして受動的に描かれている。技術のこうした描出は他作品に比べて正確であり、知識を保持し、伝搬させることは、戦争指導や領地の管理と同様、貴族たちの主要な仕事のひとつと位置づけられている。知識の属人化(技能化)そのものは『Noble Fates』にもみられたものである。本作のように多数の村人が動き回るなかでの属人的な技術システムを実現するには村人を階層化することが確かに一つの答えとなる。本作の「仕事の階層が異なる住人たちの共存」と、この技術システムとは強く結びついており、技術をこのように描く今後の作品は、「Norlandみたいな」パターンになると思われる。

ただし、多くの作品にみられる「技術を伸ばして何かをランクアップさせる」とか「経済をスケールアップするための何かをアンロックする」という技術の位置づけ、構造自体は変わっていない。貴族たちは常に村を向上するための何かに追われて忙しく、休日も趣味もない。村の向上に寄与しない人間は「狂人」として描かれる。プレイヤーの遊び・趣味がほとんど許されない(存在しない)という点で、本作は生活シミュレーションではなくサバイバルゲームというべきである。たとえば、芸能スキル15★みたいな、面白いだけのおじさんが領地巡りをしていても別によかったのではないか、ということである。


本作では、数人の領主キャラクターがその人数の10倍くらいの多数の仕事場を管理する。さらに一つの仕事場につき数名の村人が暮らしており、物品や通貨が村内で毎日動いている。しかしながら、他国の村の内政は存在しない。それが巡り巡ってプレイヤーの没入感を損なう結果となっている。問題について他作品を引き合いに出して説明するなら、『Crusader Kings』における勢力間の競争的な世界観において、『Rimworld』的な野蛮な襲撃が繰り返され、Norland各国が断続的に略奪の被害を受ける。これにより、勢力間競争の繊細な雰囲気を味わうことは難しくなっている。プレイヤーは隣国・周辺国を相手にして遊んでいるつもりが、実際のところ、ゲームを最も妨害しているのはゲーム外の自動生成の軍勢であった。『Crusader Kings』などでも敵対勢力の自動生成は起こるが、それは「民忠が低いゆえの反乱」だったり「モンゴルのヨーロッパ襲撃」だったり、理由が理解できるのでプレイヤーは納得できる。この点、本作は明らかに手抜きをしていて、Norland世界の外部で生成された、勢力と無関係で物語性の無い軍勢が延々と登場しつづけることにより、「これはまじめにやっても馬鹿馬鹿しいな」という印象を与えている。

なぜこうなってしまったのか、その理由が、他国の内政が存在しないことにあると考えられる。この手のゲームでは、資源収入のレートが持続可能な村の規模を決定する大きな要因となる。しかし、他国については資源や生産の要素が作られていないため、他国の住人や兵士数は、資源に関係なくプログラム的に設定されたものになるしかない。資源の要素が無いので、資源に基づき計算された外交(勢力圏の形成)も不可能であり、結果として他国は偏った固定収入に基づく際限のない勢力拡大を行えてしまう。開発者以外にそれを止める力は無いため、世界観的に無理のある、物語性のない外部勢力の導入に至ったものと想像する。他国にも資源在庫と資源利用の概念があれば、より現実的な、経済上の理由による紛争もあり得たと思われる。ゲーム展開を世界内部の限りある要素だけで説明できず、世界が閉じていない以上、本作をストラテジーゲームと呼ぶのは難しい。


戦闘シーンには期待するべきではない。フレーバー程度に考えるほうがよく、軍勢がぶつかってしばらく射ち合う・殴り合うのを眺める単調なものである。プレイヤーの戦術力が介在するRTS的な雰囲気はほとんどない。プレイヤーが参加できない『Mount&Blade』のような戦闘と思っていい(射撃と突撃のみ)。しかし、戦闘シーンが簡単に描かれる一方で、戦闘での敗北はきわめて深刻な結果をもたらす。撤退が許されず、倒された貴族キャラクターが死亡する可能性が高いため、主要人物は結果の読めない援護戦などには参加させられない。NPC貴族は自然発生するもので本作にはNPCの内政は無いが、プレイヤー貴族は第一に内政要員であり、思い入れもあるわけで、命の価値がまるで違うものを厳しい死闘に送り出すことは根本的に難しい。この点は本作の設計における課題である。


同盟・友好関係に基づく協力が存在する。たとえば他国の貴族が遊びに来て、領地内で狩りに出かけ、話していると技術交換ができることがある。また、敵が攻めてくるとか反乱が起きたということで他国が援軍を派遣する場合もある。たとえば『Civilization』のような一人しか勝利できないレース型のストラテジーゲームでは友好関係はほとんど成り立ち得ない(友達になれる弱い相手は叩くべきである)が、本作のような目的がゆるい非レース型のゲームでは敵対関係と友好関係が両立する。つまり「協力して共通の敵に対処することが起きやすい」わけで、このようなゲームは実はそれほど多くないと思われる。本作はストラテジーゲーム風の外見をもつ村づくりゲームであり、友好関係が続いてもゲーム進行上の不都合はない。軍勢を使った協力や、貴族たちが遊びに来るといった要素をもう少し拡充する方向に進めることは考えられる。


本作の目玉とされる、貴族たちの育成や世代交代、知識の継承といった点については、EA現在であまり機能していない。なぜなら世代交代をするであろう50日頃には、プレイヤー勢力は首位グループに入ることができ、もう今回は終わってもいいかなという気がしてくるからである。プレイヤーが主体となって勢力圏が拡大すれば、よくわからないままに「戦士税」が増額されたり、強力な「Norland外の」勢力が押し寄せてきたりする。ゲームに求められるがままにプレイすると、プレイヤーを納得させることができないゲーム難度調整要素の理不尽が強くなり、進行に従ってプレイヤーの士気を保つのが難しくなってくる。そういうわけで、私は 50日程度のプレイを4周し、1度しか世代交代をみないまま本稿をまとめた次第である。


時間が経つにつれて貴族・村人・戦士たちが消耗し、入れ替わっていくという諸行無常の枠組みは現実的で、優れている。ただ、それだけではやや薄味かとも思う。プレイスタイルに応じて王には個性が付与されるが、ほとんど目立たず、効果もほとんど感じられない。私の意見では、効果の感じられない「個人特性」の付与よりも、特に効果を設定しない異名(平和な、アル中の、血に飢えた、とか)を付与してキャラクター名の下にでも表示すれば、プレイスタイルへの明示的なフィードバックとなり没入感が高まると思う。


UIについてもコメントしておくと、一般的にサイズと重要性は関連している。だから単純に、人間関係や欲望を重要だとするなら、それを示すUI(関係 -10、要因〇〇)は大きくしたほうがよいと考えられる。たとえば『Rimworld』のUIであれば人は一見してそれをRimworld的なゲームだと思いやすいし、グローバルマップを大写しにしてユニットが動き回っていれば、人は作品に勢力間の何かがあると期待する。つまり、開発者が見せたいものと「実際に見せられているもの」の間にズレがあると、「できていないじゃないか」と言われることになる。作品に粗い部分があるのは仕方のないことだが、それを前面に押し出すような見せ方は避けるのが基本である。


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さて、今年2024年のほぼ同時期に発売された『Manor Lords』は、ある意味で悲劇的であった。開発者がのびのびと好きなように作っている、いわば頑固おやじのこだわりインディーゲームであることは許されず、おそらく発売前から「挑戦をやめて弱点を埋めることに汲々とせざるをえなかった」と想像される。合う人であれば1000時間遊べるポテンシャルの作品の芽が摘まれ、10時間程度で"消費する"ものに変更されて取り急ぎの販売にいたった。絶賛の流れのなかで、夢はしずかについえていった。

Norlandにしても、たぶんある段階でこのプロジェクトは坂を上るのをやめ、あとは低いほうに流れる下り坂に入ったのだと思う。ただ私としては、Norlandは各勢力の基礎をなす経済部分をもう少し丁寧に作り込む、またはプレイヤー側のやることを大胆にオミットしてNPCとの対等化を図ることで、本作のグローバルマップ画面が示唆するような勢力間の競争的関係をもっと本当らしく描くことができ、プレイヤーがいっそう没入できる作品になりえたのではないかと考える。

本作は、環境世界内での本格的村づくりと人々の個人的な関係性、そして勢力同士の外交関係までを一直線につなげてみせた。残念ながら本作はストラテジーゲームにも、生活シミュレーションゲームにも到達していない。ただ、複雑性を増しているこの分野に他の人々が参入するための一つの実例を示し、その身をもって今後の課題を明らかにした先駆的な作品であると評価しておきたい。
Posted July 26.
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110.0 hrs on record
本作は、率直に言って私たちに購入の二の足を踏ませるようなグラフィックが目立つ。しかし実際にプレイしてみると、非常に難しく、やりごたえがあって、グラフィックのことは忘れる。他の多くの作品と明確に異なる魅力は、圧倒されるほどに要素が多いことである。だから「これはとうてい把握しきれないな」と諦めてよく、あとはその「内容の総てをわからなくていい豊かさ」の海で泳げる、そうした、ゲームではほとんど味わうことのできない珍しい魅力がある。

そして大事なこととして、現代の環境が私たちに忘れさせようとしている"戦い方の本質"を思い出させてくれる。これは硬派な良いストラテジーゲームですねと言うしかない。ただ、ちょっと覚悟を決めてから取り組まなければ、開始後すぐに投げ出すことになりかねない。Wikiを読んでゲーム展開や既存のアイデアを知ることは必須の作品である(それによって結果的に学習時間を短縮できる。私は就寝前とトイレでWikiを読んでいた。)また、本稿の執筆時点で私はマルチプレイ未体験である。

ゲーマー目線で言えば、こんなビンテージ品にいま触れることのできる者は幸いである。一連のDominionsシリーズに20年ものあいだ情熱を注ぎ続ける数名の開発者が居る。こんないかれた連中(もちろん最大限の賛辞である)が手掛け、しかも生き残ってきたマイナーゲームなのだと思えば、やってみない理由を探すほうが難しい。

本作をプレイする意義、位置づけとしては、通過しておくべき古典の一つということになるのかと思う。たとえばブラックコーヒーを飲んだことがあれば、そのコーヒー牛乳が「甘い飲み物であること以外」を評価できるかもしれない。最近では、プレイすべき作品といえば『Baldur's Gate 3』だが、他にはSteamにも登場したフリーゲーム『Cataclysm: DDA』とか、あるいは『XCOM』シリーズや『Civilization』シリーズのような、多くの派生作品を生むことになったジャンルの代表的作品として本作も位置づけられるのではないかと思われる。

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ストラテジーゲームの共通通貨といえば、力である。力がさまざまに形を変えて、典型的には暴力の激しさだったり、金の量として作中に現れてくる。たとえば『Civilization』シリーズでは、この力の表現が多様化してきて(宗教や文化、科学など)、ゲームの勝利条件にも影響を与えている。しかしそうして洗練されてきたCIVであったが、それによって「誰が最も速くじぶんの勝利条件を達成するか」という効率レースゲームになっているように私には思われる。言い換えれば、ストラテジーゲームでありながらも、ゲーム内容が内向的なものに、たとえば街づくりゲームなどの方向に寄ってきているということである。

さて本作には、CIVのような小奇麗にまとめられた、洗練された力の表現は無い。Dominionsの世界は、より原始的な汚い暴力に満たされており、戦いの激しさは魔法によって加速されていく。命令に従わない部族弓兵の一斉射撃の後ろから、魔術師たちが放った無数の火球が降り注ぎ、その合間からトロールやらゾウやら、分身したエーテル体の騎兵やらグールやらが突入してきて何の変哲もないパイク兵とぶつかり合う、そういう何でもありの世界である(なお、戦闘は最初の5ターン以降は自動で処理される。そこにも妙味がある)。また本作では通常の会戦以外にも、いわゆる遠隔MAP兵器や暗殺、空挺作戦があり、土地の破壊や略奪、急激な気温の変化(疲労度に影響)、補給を絶つ、そして一連の作戦を成功させるための情報収集など、思いつく限りのアイデアが詰め込まれており、それらを戦略的に機能させることができる。全てのユニットがおよそ20ものパラメータを持っており、それらパラメータに対応する魔法が(おそらく)存在する。HPを削る以外にもユニットを無力化する方法が存在し、どのような方法であれ、「勝てばよい」ということになる。

勝てばよいのは当たり前だが、負ける公算が高い戦いであってもやらねばならない場合が多いということは、特筆すべき点である。どういうことか。国境の全域に大軍を張り付けておくことは実際不可能であり、相手が主力を繰り出せば止めることのできない手薄な地域が必ず出てくる。そのような手薄な地域で何が起こるのか、あるいは何をするべきなのか考えてみてほしい。すなわち、小兵力による地域の奪い合い、戦いの泥沼化である。また、仮にこちらの主力軍が相手の主力軍に勝てるだろうという様相の戦争で、何が起こるのか。相手は決戦を回避しようとするだろう、そしてこちらの手薄な地域への浸透を図ってくるだろう。こちらの主力軍は1ターンに1つの地域を確実に占領できるが、相手はその間に複数の地域を占領しようと試みるだろう。つまり、地域の獲得と戦争の有利な遂行という観点からすると、結果を読みづらい小中規模の局地戦が実際には多くなってくる。これが本作の戦争の特色であり、おそらくプレイヤーが何度も負けながら理解することになる大事な点である。つまり、兵士の命に順位・価値をつけて使う必要があり、それぞれ担う役割も異なってくる。「最強」をぶつけあう単純化された戦争ではないという点ではRTSの感覚に似ていて、たとえば「値段の安い部隊で高い部隊を制する勝利」という考えも出てくる。

ここでParadox Interactiveの『Hearts of Iron』シリーズを思い出してみよう。HoI4では当然、前線での一進一退と兵の消耗が起こっている。しかしそれはプレイヤーにとっては「マンパワーという数値が減少傾向にある」などという形でしか表されていない。はっきり言って、プレイヤーは前線で何が起こっているのかを知らないし、そんなことは知らなくていいんだよ、というのがParadoxの方針なのだろう、それが「マンパワー」という抽象化の意味だった。
 本作では、最終的に全滅するであろう部隊を手動で組織する。そして地域を取ったり取られたり、壊滅したりを繰り返して双方の屍を積み上げていくなかで、ようやく実質的な「膠着状態」に持ち込める。戦線の膠着というのは、大兵力の睨み合い、単に2つの駒が動くに動けない状態だけを必ずしも意味するものではなかった。このように本作では、現代の主要なストラテジーゲームが描かない泥臭い戦闘の現場に立ち会うこと、彼らに死んで来いと明確に命令することを要求される。これは無駄死にさせるということではなく、たとえば相手主力軍の移動先が2つ考えられる時、両方に兵を出しておけばどちらかは地域を取れると考える。その部隊を次はもう一歩奥に進めれば、相手は兵を割いて対処せざるを得ず、前線における決戦で勝利できる可能性が高まる、ということである。

本作の中でおもしろい点は、どんな高名な指揮官であってもハンマーで頭を割られたら死ぬのが当たり前(ただし普通の生物に限る)、ということである。たとえ各勢力の神を自称する強力な存在(Pretender)であっても、疲労が限界に達すれば身動きできなくなり、雑兵に取り囲まれてあっけなく死ぬ。戦力が劣勢であっても本陣強襲策が決まれば勝てる可能性はある。

ごく簡単に言えば、いかにして戦争に勝利するか、本作ではそれだけが問題である。すべての領土に要塞を作ってもいいし、強力な魔法の開発にフォーカスしてもいい、国境沿いの小競り合いの中で相手を消耗させてもいい。ただし、こちらがやりたいことをやりつづけるだけ、強みを押し付けるだけでは勝利できないように思われる。当然、競争相手にも強みがあるので、その戦術に適応した戦い方が求められる。この点が最近のCIVとは違っている。たとえば相手が毒を使ってくると知っていれば、毒抵抗の範囲魔法を持つ魔術師を用意して、彼らが毒抵抗魔法を1、2ターン目に使うように設定し、多くの兵隊を魔法範囲に含むように全体の位置取りを調整する。相手が弓兵メインなら、側面攻撃用の部隊を増強して弓兵を狙っていく、などの対策が必須である。つまり、可能な限り強力な部隊を用意するのみならず、最良の仕方での勝利を目指すことになる。その道は非常に長い。定石はあるようだが、できることが多いため、極めることは誰にとっても難しい。そこに本作の尋常ではない豊かさがもたらす救いがある。

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私はマルチプレイに一度も参加していないが、シングルプレイはゲームの流れを覚えるためのチュートリアルにすぎないらしい。そうだとしても、本作を一通り真剣にプレイしたことで、新作ストラテジーゲームを、これはカジュアル化したDominionsだろうと理解できる場面も出てきた。本作はだいぶ敷居が高い感はあるが、Wikiを確認・実践するなどして多少なりともきっかけが掴めれば、次の戦略目標を立てられるようになり、それに向かって一手一手の意味を理解しながらプレイするのが楽しめるようになると思う。そして、仮にその戦略が成功しても、Dominionsにおける氷山の一角を体験しているにすぎないことはよくわかる。簡単には汲みつくされないDominionsの海に飛び込み、安心して溺れてみてほしいと思う。

最後に注意点として、特に魔法が大量に存在するために、それらの説明文をある程度英語で確認して把握する必要がある(それでも肝心の活用法がわからないことは多い)。次に、部隊設定などの操作の煩雑さがやや現代的ではなく、またシングルプレイのゲーム中盤以降は戦争が続くことで 1ターンに15分以上は平気でかかる。そのため、シングルプレイだとしてもゲームの進行が非常に遅く、勝利条件を満たすことが難しく、「最大勢力となって、みなし勝利」をせざるをえないかと思う。「みなし勝利」の参考とするために、各勢力の戦力や領土数などの「情報を開示する」ゲーム設定にした上で開始することをおすすめしておきたい。
Posted June 17. Last edited June 17.
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177.6 hrs on record
Early Access Review
すこし前置きが長くなるが、まず本作の評価が分かれるのは理解できる。私自身、初めは「2024年にこんなおつかいゲームが出てくるとは」と思わざるをえなかったし、やらされている感の強さが耐えがたかったため、ひどいレビューでも書いて本作を"クリア"しようかと考えていた。しかし私が書きたかった、本作の批判されるべき点については既に他のSteamレビューにて上手く述べられていたため、別の視点を求めて何度かやり直してみた。そうして試行錯誤するなかでゲームの流れや遊び方が理解できてくると、実は本作はかなり面白く,将来性もあるのではないかと評価が変わってきた。

とはいえ、開発者のやりたかったことがわかってくるまでには長い時間が掛かる。現状、本作の面白さは多くのプレイヤーにとって到達不可能な地点に設定されているように思える。おそらく多くのプレイヤーは「哀しい木こりとしてBellwright世界に怒りと失望を覚えながら」ログアウトしていかざるをえない。本作の問題点はクエストで、おそらく開発者が「オープンワールドゲームには付き物だから」と義務感から仕方なく作った、愛のないサービスとでも言うべきしろものになっている。大量にあるクエストは、「持ってこい、行ってこい、明日また来い」の簡単かつ無意味な、プレイヤーの時間を奪うためのボランティア作業となっており、Bellwright世界への没入を加速させるために練り込まれたものではない。それらは製品版では削除されるべき性質の「仮の詰め歯」以上のものとは思われない。

本作には新しいところがあるものの、その折角の良さが、圧倒するような量の残念な作業要求で遮蔽されてしまっている。私としては、本作に対する読者の熱意や期待、好奇心といった何よりも貴重なリソースを、徒労のクエストや面倒な作業を漠然と反復しつづけるために浪費しないでほしいと思う。EA時点での本作プレイのアドバイスは、クエストを真に受けず好きなようにやることと、ファストトラベル用の標識をできるだけ建てる(そのための資材を持って出かける)ようにして移動のためだけに移動する時間を減らすことである。

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さて、注意事項を述べたところで、本題に入ろう。本作には最終的な目的がある。多くのサンドボックス系の作品では「目的は自分で見つけなければ」と言われるのに対して、本作はRPGの王道的な展開、戦力を拡大して勝利し、最終的に真実を明らかにすることが目的である、と語られる。ただ、私の印象では、その目的はたぶん難しすぎて正攻法では達成できない。このことが、むしろ本作の誠実なところであるように思える。つまり、達成できるとは思うが大変な目標を、いずれ達成しよう、達成したいと思いながら、まあ今日のところは別の好きなことをやっている、そしてそのうち夜も更けていた、みたいな私たちの日常がBellwrightにも広がっている。本作は、目的があるからこそ、寄り道的な遊びが楽しいサンドボックスとなっている。

本作の新しい点は、通常の拠点襲撃がゲーム進行にともない過激なクレーム対応へとエスカレートしていくことである。『Rimworld』などにみられる一般的な拠点襲撃は、プレイヤーの自宅を直撃してくれるという点で親切な襲撃であった。しかし本作では、「プレイヤーの自宅」以外の拠点を標的として、マップ上に散在する敵対的拠点から襲撃チームが出撃する。その場合、プレイヤーは基本的には本拠点で遊撃隊を編成して迎撃に向かわなければならない。これは新しい襲撃のパターンではないかと私には思われた。だから、この要素については開発陣の新たな挑戦を評価すべきだと思う。
 しかしこの要素によって、1) 襲撃への対処と、2) 大拠点を展開できる地形(必要資源がある平原)、この2つの要因によって効果的な拠点の位置というものが大体決まってくる。たとえばプレイヤーの希望(夢)として、要所である橋を抑えた陣地とか、山城を築きたいとか思っていたとしても、ゲームストーリー的には、実際の襲撃パターンに対応するために適切な場所に拠点を構築し、ゲーム進行に合わせて拠点を前進させていくことが求められる。さて、ここで問題は、拠点を作る・動かすことに途方もない時間と労力がかかるため、とにかくやりたくないとプレイヤーは思う、ということである。それゆえ、私は本作のゲーム目的を達成できなかった。本作は、オープンワールド・クレーム対応業務を発明した。つまり突然の呼び出しという要素があり、プレイヤーはその度に部隊を編成して予想される戦場へと昼夜を問わず緊急出動しなければならない。この要素はまだ粗削りで極端なものになっているように思える。現在の迎撃に行くか行かないか、0か100かではなく、もう少しプレイヤーが妥協できる・中間的な襲撃表現もあるのではないかと思う。

他の特筆すべき新しい要素は、村人をぞろぞろと引き連れて出かけることができ、それで何をするのかというと、実は大量に石ころを拾うためだった、みたいなことである。戦闘のためだけでなく、資源収集のために動員をかけるのが有効で、みんなで石を拾ったり、植物を集めたりする。何だったら、敵対的拠点への攻撃でさえも金や名声といった資源収集法の一つである。石が足りなくなれば夜中に総出で山に行き、ついでにオオカミをタコ殴りにして帰ってくる、こんな過ごし方がBellwright的である。

本作の良いシーンの例も挙げておこう。たとえば巨大な構造物の建築には、ゲーム内時間で一週間程度かかるのが当たり前であり、資材の補充を待ちながら時間はゆっくりと流れている。その間、プレイヤーは村内の物流や遠隔拠点の在庫を確認・補充し、襲撃に緊急の対応をし、次の遠征の予定を立て、村人たちへの仕事の割り振りを見直し、仕事が円滑に進むようにと諸々調整をしているうちに、もう日が傾いている。そんな忙しいマネージャー業務の日々の合間に、一日休暇を取って村の立ち上げメンバーと出かける鹿狩りが、実は本当に気晴らしになる、ということに私は感動せざるをえなかった。その瞬間、私は確かに村の一員だった。このような意外な体験があったため私は本作を好意的に評価している。しかし、実際そうなるまでには面倒な管理業務があり、管理業務が生まれるまでには村人が増えて村が発展しなければならず、結局のところ長い時間が掛かる。簡単に村人が増えて村が簡単に拡張していたなら、鹿狩りに感動することなどなかったと思われる。

わざと時間が掛かるように作ってある、という本作の特徴は、今ではデメリットと見られることが多いと思う。ただ、それによって、村の中を歩き回って村の発展の進捗を眺めているだけでも楽しい、という状況は生まれている。『Survivalist: Invisible Strain』のように、さまざまな状況に応じた、プレイヤーを含む村人たちの無意味な会話がたくさんあれば村のリアルさが増すことは間違いない。

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全体として、これまでに無かったような新しい試みがBellwrightにはあり、プレイしていて面白いところはある。上記に述べた以外には、建設の監督作業も熱中出来て、ついつい自分でも丸太を運びたくなってしまう。課題は、面白い遊び方にプレイヤーが辿り着くまでに要求される作業量が多く、その作業(クエスト、襲撃対応等)は面倒で、徒労を感じさせるばかりだということである。現状がなぜ面倒なばかりになっているのか、それはBellwright世界が決まったプログラムに基づいて動いているという以上の印象を、すなわち人々の生命感を、プレイヤーに感じさせることに完全には成功していないからである。作品の改善には、おそらくもっと動的な相互作用の表現が必要であり、「ただ生活しているだけでも楽しい」作品世界には、取ってつけたようなゲーム的クエストなどを用意する必要はない。本当にどうでもいい、でも村人にとっては真剣な悩みなんだとプレイヤーが感じてしまう、村人の依頼がそういう現実的なものになっていくために何が必要なのか、本作に限らず、オープンワールド村づくり生活ゲームはその辺を考えていく必要があるだろう。
Posted June 17.
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6.5 hrs on record
Early Access Review
村の仕事が家族単位で管理される村づくりである点は『Lords and Villeins』に近いシステムである。異なるのは村人の割り当てが自由に置き換えられる点であり、木こりがある日突然戦士となって命のやり取りをしはじめる。本作はマップ画面上でシームレスに複数部隊どうしの陣形戦闘が起きるという、一見するとRTSのような地点を狙っている。ただ、Unreal Engineを採用しているようで、それでどこまで多人数描画ができるのか(『Total War』や『Mount&Blade』には及ぶべくもないだろうが)、それが本作の戦闘システムを決定する鍵となってくるはずである(残念ながらそれを確認できるほどプレイできていない)。

開発者がリリース直前に弱気な声明を出していたこともあり、私は本作には期待していなかったが、それで正解だったと思える仕上がりである。「マジか」と言ってしまう程度に未完成であるが、それは良いとしよう。しかし、「ゲームとして成立させる」ことを急いだために追加されたのであろう、取ってつけただけの「それらしい」ゲーム的要素がどれも評価できない。「とりあえずゲーム機能を緊急実装しました」という感じなのがいただけない。この開発者が作りたかったのは、木こりが上級市民にランクアップしてフルプレートの量産体制に入るような中世村づくりではなかったんじゃないか、なぜこうなってしまったのかという思いはあるが、よく考えていなかったものは仕方がない。

発表当初、本作にはポテンシャルはあったと思う、しかし現状を見れば、これは個人開発者が完成させられる見込みのない、絵に描いた餅にすぎなかったのだと理解できる。細部へのこだわりを楽しむ開発者が、たくさんの要素を作品に盛り込んだ結果、結局何も完成できておらず、そしてゲームとして成立させることを急いだ結果、どうでもいいもので空欄を埋めてお茶を濁すしかなかった、という感じだろうか。たとえて言えば、好きなことばかりやっていたので明日提出するレポートには何も手を付けていなかった、2000文字など考えていなかったので、どこかで聞いたようなことをひたすら書き殴って提出せざるを得なかった、何かそんな記憶がよみがえるゲームである。そんなレポートに"可"をつけてくれた先生のように、私も本作に"可"をつけたい。情熱をもってやりたいことをやってエッジを出すことは必要だが、最終的には単に開発者であるという以上のこと、やりたくないことを散々やって、それでもなお自分の(みんなの、ではなく)満足のいく・愛のこもった作品として完成させるということはとても難しい、このことが本作の内容から伝わってくる。でも、永遠に完成しない傑作の開発者であるよりは、単に普通に完成した作品の開発者であるほうが評価は高く、Slavic Magicの今後を考えるとこれでよかったのかなと思う。
Posted April 29. Last edited April 29.
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13.8 hrs on record
Early Access Review
本作は、非常に考えさせられるゲームである。何が面白いのかがよくわからないからである。初めの90分間で面白いところが一つも無いことに私は驚かされたが、10時間プレイしてもやはり面白いところが一つも無い。だから本作は、まるで読み方を知らない人間には無価値な文字の羅列にすぎない詩のように、詩的なゲームなのだと考えるべきではないかと思う。

たとえていうなら、現在にあって「Aボタンを押すとマリオがジャンプする」ことに感動する人は稀だと思うが、そのような既に多くの作品においては述べられることがない原始的な感動をこそ本作は主張しているようである。宇宙を舞台に次々に飛び回るゲームでありながら、操船はなぜかほとんど手動であり、宇宙船の進路決定やドッキングするための位置合わせを上下左右・回転キーで細やかに操作する必要がある。宇宙船を自在に飛ばす技術が存在する世界観であるにも関わらず自動操船ができないことは理解しがたいため、むしろこの手動操船システムが本作における重要なポイントなのだと考えるほかない。だが、煩雑な操作が要求され、時間がかかるばかりで利益が何もない移動は、少なくとも私にとっては愉快なものではなかった。移動先で、あるいは移動中に、どんな事件が起こるのかが主要な問題であり、そこに集中できる作りであってほしかったと思う。

宇宙空間の特定の座標に(なぜか)静止している船舶やステーションの残骸まで移動して乗り込むと、一部の再利用可能な装置を回収できる。これにはゲーム内時間というより現実の時間と手間がだいぶかかる。船外活動時には酸素の補充のため船に何度も戻るなど細かい操作が必要になり、また何も操作しない待ち時間もかかる。ではそうした装置をなぜ回収するのかというと、売り払って金にするためである、まずそのように私は思った。しかし一方で、簡単なおつかいミッションを受注してこなせばスカベンジの10倍くらい金になり、労力は大してかからない。つまり、実はスカベンジは金のために行うものではない。生存に必要な食糧や水は買えば豊富に手に入るゲームである。それでは、そもそも何のために敢えて残骸の回収業をするのだろうか? たとえ無傷のエアーポンプを回収できたところで、自分の船のポンプは安定稼働しており、売っても大して利益にならず、メリットが特にないように思える。以上のように、本作の目玉要素であるはずのスカベンジをする明確な意義を理解することがまず難しい(*)。

(*) 船の拡張には役立つのかもしれない。ただ、スカベンジが金にならないことがわかっているのに、なぜスカベンジのために必要以上に倉庫を拡張するべきなのだろう? ミッションとスカベンジの利益の差について見直したほうがよいと考えられる。

他にも、前作『NEO Scavenger』やその他「サバイバルゲーム」にもみられるリアリティの欠如は相変わらずみられる。まず、物品の非現実的な劣化速度は健在である。私の意見としては、サバイバルとは一言でいえば「買えば済むだけのものが買えない状況」に起因するものである。したがって、本作で依然みられるような「物は沢山あるが、なぜか早く劣化する」というゲームデザインは、開発陣の思考の放棄に由来するものとして私は否定的である。また本作では、宇宙船開発等にかかわる企業の存在がほのめかされているものの経済は機能しないようである。シミュレーションにおいてリアリティが欠如すると、現実的な計画を機能させることは難しくなり、プレイヤーのやることが単にゲームの癖をつかむことへと貶められてしまう。

ゲームの初めにはプレイヤーキャラクターの作成を行うが、そこで驚かされたのは、ゲームに不利な身体的特質を大量に保有している状態が初期設定として固定されている、ということだった。前作『NEO Scavenger』を思い出してみれば、不利な特質は有利な特質との交換で取得されるものだったが、本作では、まず不利な特質がずらりと並んでおり、主人公の身体能力は標準を大きく下回る。これを標準レベルで開始しようとすると、ゲーム内時間で十年ほど訓練しなければならない。ここから読み取れる本作のメッセージは、「あなたたちの標準的な肉体は、じつは多大な訓練のたまものなのだよ」といった、「気にしていなかったけど実は凄い」という類いのことだろう。そして同時に、現実のゲームにおいて不利な身体的特質をもつと感じている人々が本作に入り込みやすくする意図があるのではないかと思う。

最後に、このレビューは注意喚起のために書かれた。何やら格好良さそうな、他とは違っていそうな、誰もプレイしていなさそうなインディーゲームだと思って本作を手に取るような、珍味を好むプレイヤーを本作は容赦なく撃沈するであろう。本作は、ゲームマニアが求めるような最先端の珍味ではなく、非常に原始的な喜びを追求するゲームである。そもそもどこが尖っているのか理解しがたい作品であり、残念ながら私には本作を読み解けるほどの力量と根気がなく、これ以上の評価も難しい。好意的な言い方をすれば、やや詩的で思想性がありそうな雰囲気がある、ゲームメカニクス以外の部分で楽しむシミュレータである。
Posted December 3, 2023. Last edited December 3, 2023.
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Early Access Review
この作品は、非常にセンスが良い。複数の村人たちとともに進行していくコミュニティ運営ゲームとして、抜群の秀作と言っていい。どこが優れているかというと、「あまりゲーム的ではない」点である。つまり、内容がよく考えられており、現実的な要素が巧妙に作中に落とし込まれていることを感じさせる点である。全体として素朴で、おおむね論理的である。とはいえ本作にも至らない点はあり、以下では適宜指摘していく。なお、この評価はMODを適用した上でのものである(1.一部の制約を現実的なものに緩和する"Karma Tweaks"。 2.個々人の思念を読めるサイズで表示する"Thoughts Text Size")。


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意見システム: これが文化というものなのか?

本作では、登場する旅人や他勢力の全員が仲間になりうる。人々はそれぞれの性質や能力・才能、年齢、意見などを有しており、平等に不平等ないつもの世界が再現されている。だから効率の良いプレイを目指すなら、結局、即戦力となる人物または才能ある若手ばかりがピックアップされて集落に集められることになる。さて、先に「意見」と述べたが、本作に登場する人々は「掃除が嫌いだ」とか「手袋が好きだ」など、あらゆる事物に対して意見を持っており、しかもそれは人々の関係性に応じて伝搬しうる、流動的なものとして描かれている。たとえば宴会でリーダーが演説する機会があり、事物に対する人々の評価を上下させる試みができる。また、意見の自然な変化も時折起きているようである。したがって、コミュニティ内で多数派となった意見は、その反対派を変化させる可能性がより高くなり、最終的に誰もが似たような意見の構成に至るであろうことが想像できる。たとえば仕事に関するコミュニティ内の評価を積極的に上げていくと、仕事が好きな人ばかりのコミュニティが出来上がっていく。そうなると、仕事が嫌いな他勢力の人々とは意見が合わないことになっていく。こうして、「意見」の存在と、それが伝搬する流動的な枠組みのなかで、コミュニティメンバーは徐々に同じものを好み、同じものを嫌う、均質な集団になっていく可能性がある。同じ時間に寝起きし、食卓を共にし、話をし続けることは、この作用をさらに加速させていくはずである。以上より、この「意見」システムは、いわばコミュニティの文化的な下地とみるのが適切なのではないか、その再現のために作られたのではないかと考えられる。見事な仕事だと言わざるをえない。

しかし、意見システムについては、特に一部の強硬な意見が不自然な事態を引き起こしている。登場人物の多くは知的生物由来の食材や皮革を強く嫌悪しており、本作では、この手の意見が関係構築に大きな影響力をもっている。人々はいつも「あいつは人肉が好きだ」と激怒しているか、「あいつは人皮が大嫌いだ」と歓喜しているように見える。つまり、人肉・人皮に代表される、非常に強い低次の意見が存在し、その影響力が強すぎるせいで、より面白いはずの繊細な意見の違いが覆い隠されてしまっている。そのこと自体はリアリティがあると思える。しかし、ちょっと考えてみてほしいが、「人肉が嫌いだという話でいつも盛り上がり、それで笑い合っている人々」は、一周回って、シンプルに人肉が好きな人々よりも恐ろしい集団ではないだろうか(人肉のどこが嫌いかを言い合って楽しんでいるに違いない)。こうした不自然な、現実的でない集落内の状況を解決するためには、当たり前の話、情報量の低い話の及ぼす効果をゼロに漸近させることである。つまり、コミュニティないしは世界における常識の形成である。そして、まだ多数派が形成されていない、より混沌とした未定の状況へとコミットする場合の効果を相対的に大きくすることである。私としては、本作のなかで「知的生物由来の素材が好きかどうか」によって感情的になる人々や、内輪もめをする集落を見たいわけではない。それよりも、「剣は鉄の無駄遣いである」みたいな、もっと馬鹿げた信念によってこそ歴史は動くと考えている。


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3次元的な陣地構築

3次元的な建設という視点での面白さについては、まず『Going Medieval』と比較したい。キャラクターの外見については、『Going Medieval』は比較的高頭身であった。ボクセル一個のサイズは縦方向(z)に長く、2 m程度であるのに対して、横方向(xy)は 0.3‒0.5 m程度であった。これに対し、本作ではキャラクターはデフォルメされた低頭身である。ボクセルサイズは各方向で等しく、立方体である。それがどんな違いをもたらしているかというと、『Going Medieval』では壁を登るための梯子が存在したが、本作では段差一つはジャンプして移動できる。さらに、山や地下に、より多くの階層(プラスマイナス16階層)を用意できている。建設のリアリティは『Going Medieval』に軍配が上がる。本作では足場の無い空中に床を延長していくことができてしまうからである。しかし、床を延長していくだけで橋を作れるので、マップに巨大な河川が現れてもデメリットは小さく、むしろ建設の可能性が増す。河川に隣接する集落が作れることは、むろん防衛の観点からの有利さもあるが、農業の観点から言っても非常に現実的である。ただし、川の水を引き込むことはできないようである。

両作品に特筆すべき違いがあるのは、テラフォーミング、土の取り扱いに関してである。本作では、地面を掘って出てくる「dirt(土)」を使って、「土の壁」ではなく「地面」を作れる。和式築城ファンにとって嬉しいことに、土塁が作れる。土塁は構築に資源が要らない防衛設備であり、まず穴を掘り、出た土を隣に積み上げていくことで効率的に高低差を作り出し、防衛側に有利な地形を与えることを目的とする。この方法で形成された踏み固められた土塁はそそり立つ石垣のような決定的な防御力は有さないが、その製法の簡単さから、国内に無数に存在した砦や城の多くは土塁を中心に成っていたとされる。本作の土塁は、そのような通常の斜面にすることもできる(平地と移動速度は変わらない)し、面白いことに、下から積み上げて堀切の形にも出来る。堀切とは、実際には山を削って作る断崖のことをいう。

一方で、特に欧州のお城は、その本体は城壁だと言ったら言い過ぎかもしれないが、壁を突破された時点で防衛側は降伏し、攻城戦は終わるらしい。本丸まで攻め込むことは一般的ではないようだ。そういう地域の開発者は、それがお城だと思っているので、城塞とは周囲を囲む壁のことだと思っている。そして日本でも、お城とは天守のことだと思っている人が多い。そうした暗黙の諒解はゲーム作品にも現れる。そのせいか、リアルな土木工事に基づく土塁の建造や高低差の操作が可能なゲームを私は本作以外に知らない。とにかく生存区域を壁で囲っておく発想から進んで、地形・出入口・進行ルートをコントロールして相手を誘導し、そこに効果的に矢を射かけ、丸太を転がすなどの仕掛けを盛り込んでいくのが城の縄張りである。本作は、壁を貼ったり塔をこしらえたりといったこと以外に、泥臭い地形改変に基づく戦略的な陣地構築が楽しめる稀有な作品である。そしてそれを行う上で、立方体のボクセルは非常に見やすく、有効に機能していると言える。

ただし、こうした自由度の高さにより、誰も侵攻できない土地を作れてしまうことから、一部の敵対的モンスターはワープして、集落内に生成されるポータルから攻め込んでくるようになっている。また、「かぎ爪」のような装備があり、おそらくどんな高さの壁もロープを伝って登れるようになっている。こうした要素を取り入れることにより、自由な地形改変・土塁作りをプレイヤーにゆるしながら、ゲーム性との両立が目指されていることが理解できる。壁を越えるための「かぎ爪」はアイデアだと思えるし、納得できる。しかし、モンスターがワープしてくることは、よくわからない、洗練されていないゲーム的要素にすぎないと言うほかない。ただ少なくとも、この問題は地形改変の自由さと関連していると考えられる。改良の余地はあるだろう。


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他勢力との関わりなど、外交システムに向けて

村づくりゲームにおける大きな課題の一つは、村を作っているだけでは、世界におけるその村の位置づけがわからないことである。この集落は少なくとも世界最後の集落ではないので、私たちは自分の集落の相対的な価値を見きわめ、生き延びるための戦略を考える必要がある。この、対外的にどう出るかという戦略こそがプレイヤーに選択肢を与えるものである(たとえば、自勢力の方向性には合わない人物だが武力が必要なので採用する、とか)。選択の必要性を自然なかたちで与えるという意味で、村づくりゲームにおいて外交要素は不可欠である。

本作の舞台となる島では、10かそれ以上の周辺勢力が割拠している。プレイヤーは時間経過とともに、旅人を通じて諸勢力の位置、かれらの性質・意見等の情報を自然に得る。そうして徐々に諸勢力間の外交状況など島の状況が明らかとなっていく。そのなかでプレイヤーができることは、現状(v0.28)では諸勢力の依頼を受けて大義名分の下に遠征し、捕虜の救出、集落防衛、犯罪者の討伐、反乱鎮圧などである。成功すると他勢力の評価が上がるものの、現在は関係が良好だからといって外交的に何かがあるわけではないようである。この遠征機能は外交実装に向けたステップという以外にも意義があり、集落マップ以外のマップで資源確保ができる。遠征先にある木や石、鉱物などを根こそぎ取ってくることができるため、おそらく終盤以降の資源問題の対策となるであろう。全体として、外交関連はまだ開発途上にあるようで、私も全体像を掴めていないが、「周辺で何かをしている人々が居り、この世界で活動しているのは自分だけではない」という雰囲気を醸し出す程度には役立っている。なお、依頼を有効化するには、Perch(止まり木)という建造物を作る必要がある。

問題点と改善策についても考えてみよう。問題は、依頼内容が唐突に感じられ、依頼をこなすことの意味がわからず、与えられた指示に従うだけの取って付けたような任務である印象が否めない点である。また、たとえば防衛任務に成功したとしても、その救援した集落との間に将来につながる何かがあるわけではない。おそらくこうした問題の原因は、各勢力の歴史や事件の噂などが巷で語られていないからである。たとえば、「ある勢力で内輪もめがあり、ハンマー大好きのリーダーが、斧好きな誰それに斧を捨てるよう迫ったが、従わなかったので追放したらしい」 「すげえ!」、とかいう馬鹿な噂話・会話が背景としてあった上での「斧派の反乱鎮圧」依頼であれば、プレイヤーは自分の行動の意味合いがわかる。また、そうして出来事が記憶・流布されることで、過去に我々はこうされたので、今度はこうする、と他勢力に意思決定をさせることもできそうである。このように、会話機能の拡充と、各勢力の行動の歴史を記録していくことで、依頼機能が大きく改善するのではないかと考えられる。それによって、より長期的なプレイに堪える作品になるだろう。


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「技術ツリー」問題の解決

『Rimworld』は何かとその名前が引き合いに出され、新作との比較対象にされるが、欠点が無かったわけではない。たとえば、なぜ未開人が一人で机に向かっているだけで、いつか宇宙船のエンジンが作れるようになるのか、納得のいく説明はできない。「技術ツリー」はゲーム製作の教科書レベルの概念であるが、これを単にそのまま実装すれば、そこが作品の弱点となりうる。まず考えるべきなのは「知識や技術の進展という要素を、どのように作中で表現するか」であり、単に「どんな技術を用意すればいいか」ではなかった。こうした表現を軽視した『Rimworld』は、実際には大成功を収めている。それは様々な面白さを乱暴に接合したところに魅力的な混沌を生じさせたことが要因だったと思える。しかし、その魅了の魔法から醒めてしまえば、後に残るのは様々な点への違和感であり、これはゲームでしかないな、と思わざるをえなくなる。残念ながら、多くの人気作品がこの限界を越えることができていない(たとえば有名どころで言うと、様々な設定の細かさを売りにしている Paradox Interactiveの作品群もそうである)。この限界は作品の骨子を設計する段階で決まっており、後から限界を突破することは困難である。

本作の類似作品として、「3次元建設が可能な『Rimworld』」などとして知られる『Going Medieval』も思い出してみよう。『Going Medieval』の「技術研究」には工夫が見られ、研究力の産出が、書物の産出として具体化されていた。その書物はコミュニティの本棚に格納され、技術研究が進むにつれて本棚がいっぱいになっていき、ちょっとした図書館ができあがる。進行状況がゲーム内の要素として目に見える形になっていることは、優れた工夫だったと言える。しかしながら、たとえば弓を開発するために書物を数十冊執筆するというのは道理に合わない。また、中世を謳っているにも関わらず、寄せ集めの村人によって書物が次々に書かれ、数十冊単位で取引されるに至っては、全くの幻想であり、世界観を損なっていた。技術研究を書物と関連づけて作品世界に受肉させる着想は良かったものの、それが作品世界にそぐわないことは軽視されていた。

さて、本作の話に入ろう。本作は、プレイヤーが「技術ツリー」を意識することが無いように作られており、典型的な「技術研究」の仕事は存在しない。それはなぜか。私の理解では、「技術研究」をするほどの内容が無いからである。たとえば弓がどのようなものであるか、「私たちの誰もが」知っている。それを「新発明する」ための技術研究など要らないはずであり、「弓を発明するために机に向かう」のは現実的ではなかった。この点をきちんと抑えたことにより、本作の世界におけるキャラクターは、(誰もが弓を使っている世の中であるにも関わらず)「机で弓を発明している」間抜けな人物にはならないわけである。さらに、本作における建造物や物品の作成技能は勢力全体で共有されるのではなく、あくまで属人的である。つまり、コミュニティでは職人が経験に基づいて物を作っている。言い換えれば、本作において建造や製作は「技術・テクノロジー」に基づくものというより、「技能・テクニック」に依拠している。大抵の物作りが「そういうものだ」ということを開発陣は承知しているのだろう。こうした優れた洞察がゲーム設計の根底にあることが感じられる。Noble Fatesは既存の「技術ツリー」が論理的ではないという問題に対して挑戦し、みんなにとって価値のある、一つの解決方法を提示することに成功している。


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ゲーム開発上の制約をどのように作中に反映させるか

プレイヤーのコミュニティには人数制限がある。具体的には、各人の意見(好み)として、コミュニティの人数が極小規模(1‒4)から大規模(13‒16)まで設定されている。コミュニティの人数が好みの規模とは違っていることによる不満が存在する。そんな中、あるプレイヤーが体験したという話では、16人までは意見の違いがあっても不満は顕在化しなかった。しかし17人になった瞬間に、突然これまでと比較にならない不満が湧き起こり、それまで目をかけてきた誰かが出ていったという。そして最終的に、この事態に最も不満を覚えてコミュニティを出て行ったのは、そのプレイヤー自身であったという。

17人になった途端にゲームを崩壊させるデバフがかかるという仕様が存在する理由は、ゲームエンジンの性能にあると考えられる。コミュニティの人数が増えれば襲撃者や旅行者の数も増えてゲームエンジンへの負荷が大きくなるので、人数には必然的に上限がある。とはいえ、16人と17人の間にどのような説明可能な劇的な違いがあって上記の事態が起こるのか、理解するのは難しい。先の体験談では、本作を遊びきったプレイヤーに対して、突然のゲーム終了のお知らせが突きつけられた。これは、ゲームエンジンの問題を認識していた開発陣が、ゲームの重さなどとして問題が顕在化する前に、しかし雑なやり方で対処をした結果と考えられる。つまり、当然存在するはずの技術的制約を隠すために、より悪い理解不能な制約が導入された。それによってプレイヤーがやりたいこと、当然できると思っていたことが強制的に阻害されたことが本問題の原因であったと言えよう。タイトルの通り、ゲーム開発上の制約をどのように無理なく作品に落とし込み、プレイヤーが納得できる自然な形に仕上げるかは、本作においても依然として課題である。

本問題の改善策はごく単純である。16人に達するまでの不満上昇と同じレートで、17人目以降も上昇するようになれば自然である。別のもっと正直なやり方は、ゲームエンジンの負荷に対応する形で不満を上げていくことだろうか。なお、本作は簡単なMODは簡単に作れるようになっていて評価が高いものの、本問題については簡単な方法では対処できないようであった。最後に、このセクションが本レビューの最後の話題でもあることは、ただの偶然であることを断っておきたい。


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結論とコメント

まとめると、全体として作りの良さがよく感じられる、手触りの良い作品である。個々の「意見」を大きく取り上げたシステムはユニークで現代的でもあり、発展の可能性が感じられた。また、特にテラフォーミングを含む3次元建築は結構本当によくできていて、土塁ベースの枡形や空堀などを駆使した縦深のある陣地が作りたいように作れて機能した。外交システムの萌芽といえる依頼機能は途上にあるが、少なくともこの手のゲームで必須の外交を忘れていない、ということを示せている。典型的な「技術研究」タスクを廃止したことは、「技術と技能を区別した」のだといえば簡単なアイデアと思われるかもしれないが、これまでの多くの作品が達成できていなかったことである。

さて、Noble Fates は3年間のEAを計画しており、もうすぐ2年になろうとしている。開発プロジェクトの完遂において難しいのは、完成図を定めること、そして寄り道の誘惑に負けず完成に向かって進めることである。最近のアップデートをみると、やや脈絡を欠き、色々とやっている印象である。個別の改善が素晴らしいのはよくわかる、しかし改善はいくらでも思いつくもので、きりがない。なまじ出来るからこそ色々と手を出し、どれも中途半端で、結局やればやるほど裾野が広がり全体の完成から遠ざかる、といった事態を避けて計画通り正式リリースされることを願いたい。私はぜひ本開発陣の次回作も見たいと思っている。
Posted September 30, 2023. Last edited September 30, 2023.
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84.5 hrs on record
このゲームは、多くの部分が論理的ではない。言い換えれば、説明無しに脳内補完できる範囲を越えた決まり事・ルールが多い。しょせんゲームだろうと言って、それが気にならない方には、本作は受けるかもしれない。逆に、昨今のオープンワールド作品に対する基本的な不満があるという方は、やはり同様な不満を抱くと思われる。『Starfield』はオープンワールドRPGの大御所の作品ということで、私は半分は義務と思って完走(最終的に難易度を下げて強制戦闘を済ませたが)し、サブクエストや拠点・宇宙船開発もある程度プレイした。

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少し前置きが長くなるが、まず、ゲーム開発において、あらゆる表現はデフォルメされるのが常である。最もわかりやすい物体の表現について言うと、分子レベルでの物理シミュレーションはせずに、リアリティを壊さない程度にシミュレーションが簡略化される。大昔は人の顔が一個のポリゴンにまで簡略化されていたが、現在ではジャガイモ一個のレベルまで微細な3次元表現が可能になってきている。このように、開発の事情と私たちのリアリティとのあわいにゲーム作品世界の表現が生じてくる。

この物理シミュレーションの簡略化と同じことは、ゲーム内の様々な概念についても言える。たとえば『Starfield』では、ジャガイモから芽が出たり、船内でカビが生えたりすることはない。鮮度の概念は省略されている。さて、ここで言いたいことは、ある状況に基づいて、私たちは「世の決まり事」を理解する、ということである。たとえば重力の小さい惑星では、これこれの事情があって(* 数式が出てくる *)、五階から落ちても脚を折らずに済むのです、と説明されたら、そういうものかと納得するかもしれない。もしそうであれば、「重力の小さい惑星では五階の高さから落ちてもダメージを受けない」という決まり事が認められ、宇宙全体に適用される。これにより、本来必要な思考や計算過程を大幅に省略して、状況から結果に到達することができる。これが良い例であったとは思わないが、このように、無数に起こりうる状況を少数の決まり事に落とし込むことで、作品世界は効果的に構成される。つまり、取っつきやすいゲームの世界が出来上がる。

ただ、本作では何も説明はされない。様々な決まり事は簡略化された形で初めから与えられており、プレイヤーはその理由を想像するしかない。たとえばスキルツリーの内容や、拠点・宇宙船まわりの制約だったり、攻撃してもダメージが通らない対象が居る、などなど。これを読んでいる私たちの現実に比べれば簡略化して表現された決まり事・制約が、作品世界の隅々にまで適用されているわけである。

さて前置きが長くなったが、では問題は何なのかというと、ある状況から、ある結論が導かれ、ある決まり事となるに至った理由がプレイヤー側で想像できるか、納得できるかということである。しかし残念ながら、人類の宇宙進出という科学技術が根幹にある世界観の作品であるにもかかわらず、あまりにも杜撰な、あまりにも乱暴な、論理的でない決まり事・ルールが多いように見受けられた。つまり、「なぜそうなのか、その理由は開発の簡単化のためである」、それ以外の理由が見出せない奇妙なルールが多数あった。いちいち書かないが、大いなる宇宙の謎よりも遙かに早く、強く押し寄せてくる、もっと身近で意味不明なゲームの制約と絶えず格闘しなければならないせいで、没入感は損なわれた。他の作品でもいつもそうだが、「開発の簡単化」のために妥協された・犠牲にされた部分のツケを払わされるのは、常にプレイヤーである。納得できないゲームルールに服従することは、誰もが日々経験していることには違いないが、そのリアリティをゲームで味わう必要など無いだろう。


仮に本作がいわゆる「バカゲー」として、つまり棒きれ振り回して鉄砲バンバン、ステルス成功! レジェンダリー出た! などといって喜ぶためのオープンワールドゲームとして売られていたのなら、敢えてこのようなレビューを書くことはなかった。しかしBethesda社の『Starfield』は、他の多くのオープンワールドRPGとは異質なものを提供するかのように見えた。そのように、期待をしてしまった。実際、その違いがどこにあったのか、よくわからない。本作は『No man's sky』や『The Outer World』と非常によく似ている。そしてオープンワールド作品の既存の課題(※)をなにか解決しているようにも見えない。私の観点からは、他と比べて本作のどこが抜きん出ているのか、創造的なのか、評価は難しい。

※詳述しないが、たとえば弾薬が同じなのに射撃の威力がレベルに応じて上がるのは意味がわからない・おかしなことだと思い続けているのは、私だけではないはずだ。そういう、伝統的に放置されている、銃弾一発に至るまでの多数の意味不明さを今後どうしていくのか、という話である。

クエストに関しては、「そのクエストをやるか、やらないか」以外の選択肢はほとんどなく、基本的に一から十まで指示に従う「おつかい」であり、とってつけたようなものであった。別の言い方をすれば、ある大きな目標が示されて、手段は問わないので自由に貢献していいですよ、あなたはあなたのやり方で世界を切り開いてみてください、という方式ではなかった。

ゲームの全体的な改善案としては、戦闘のゲームバランス的にどうであれ、少なくとも常識的におかしい部分は修正することと、あらゆるNPCを自陣営で雇用可能にする変更を提案しておきたい。既にChatGPTを『Skyrim』や『M&B2 Bannerlord』に導入してNPCと会話ができるという報告は出ている(YouTubeの@Bloctheworker氏, 2023)。現在の生成AI技術の進展が今後のゲーム体験を大きく変えていく可能性を有することは明らかであり、いつ、誰がそれを作品に仕上げるか、という段階に来ているのではないだろうか。『Starfield』は、このような変革期にさしかかるなかで発売された、オールドスクールなオープンワールドRPGであった。評価については、上に書いた通りである。

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最後に、コメントとして
本作は、作品世界内で人々が動的に相互作用しない。ゆえに、作品世界が多様な時間発展をみせることもない。これでは紙芝居が繰り返されるだけであり、いくらコンテンツ量が多くとも意味が無いと思う。どういうことか。たとえば図書館に行けば無数の世界に出会えるが、それらは全て静的に本棚に収まっているだけである。だから結局のところ、私たちがそれらの本を読み、それらのピースを自分のなかで動的に結びつけ、想像し、自分の骨肉としなければ、最もエキサイティングな複合体としての世界の移り行きは、想像・経験され得ない。それが非常に得難い経験であるからこそ、みんなが遊べるオープンワールドゲームにおいて、そうした動的な相互作用を表現できるようになればよいと私は考えている(それが、私が『Survivalist: Invisible Strain』を称賛する理由である)。このレビューは、こうした視点から書かれた。本作はそれとは反対に、美麗なグラフィックの作り込みとか定型文の量とか惑星の正しい運行とか、従来作と同様、静的なものの拡充を重視しており、動的な相互作用とか作品世界の表現の論理性には興味が無いようである。
Posted September 10, 2023. Last edited September 10, 2023.
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31.9 hrs on record (31.8 hrs at review time)
本作について話すのはとても難しい。難しいが、話してみたくなるような作品でもある。私は正式リリース後に本作を知ったものであり、これがどのようなゲームなのか開発状況を逐一追ってきたわけではない。どのようなゲームなのか私なりの結論からいうと、身体で喩えれば、たえず出血をしながらも造血能力を高めていき、全体としての血流量を増やすことが目的の経営ゲームである。

本題に入る前に一般的な説明をすると、『RimWorld』では個々の村人単位で仕事や優先度を設定する必要があり、また特に戦闘時などに直接操作が煩雑になることから村人数に限度があった。それに対して本作では各家を専門職に定め、家単位・職場単位で指示を出すようにしたことで操作の煩雑さを大幅に軽減している。結果、動き回る村人たちを数百人規模まで増やすことに成功している。また、いわゆる「技術ツリー」の表現が、ある技能集団としての家を誘致するという形で世界に落とし込もうと試みられている点が好印象である。

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では、ゲームデザインに関する難しさについて述べよう。領地経営のためには取捨選択が必要になるが、そこで取られるものとは「領地の存続」のほかになく、代わりに捨てられるものは「村人の命」ということになる。「領地の存続」自体は当然しなければならないことであって、プレイヤーにとって特に報酬とは言えない。しかし領主として「村人の命」を捨てるというのは、おそらくゲームデザインを了解していない、単なる村づくりゲームのつもりで赴任してきたプレイヤーにとっては苦痛だろう。本作はこのような、利害得失ではなく、悪いものか、もっと悪いものかを選ばざるを得ないというリアルさに基づく設計となっている。

うまくやれなければ村全体の資産がゆっくりと減っていき、度重なる下手な資金援助が、その出血箇所を致命的なものにしていく。事態を理解した領主は村人を生産チェーンの一部を成すコマとして無関心に眺めるようになる。滅びたPeasant一家には墓標すら無いが、彼らは確かにこの村にいくらかの資産を付け加えた。本作は、その牧歌的な見かけと裏腹に、村づくりゲームではないように思われる。村づくりはプレイヤーの趣味であり、ゲームメカニズム、ゲームの全体的な雰囲気(こうすれば、こうなるだろうという見通し)が把握できていなければ、その趣味が弱点となって破綻しかねない。

じゃあ、どうすればよいのか。それはわからない。そして状況が上向いているのかを確認する指標もない(村全体の生産と収支とか、台帳は作れるはずだが敢えて実装していないのだろう)。体感としては、基本的に状況は良くならない。"良くなっていかないように作られている"、と言うべきであり、下手をすると、働けば働くほど貧しくなるという資本論の世界である。

つまり本作は、多くの作品にみられるような、陽にわかりやすく儲けて、それに見合うさらに強い敵とたたかうといったスケーリングがなされるゲームではない。今年も税を無事に王都に送ることができ、領内の状況もそれほど悪化していないように思える、という辺りで良しとしなければならない。本作における目的の違い、こうした認識の違いを書いておくことには価値があるだろう。この辺りの新しさにインディーゲームっぽさ、あるいはこだわりが感じられる。それゆえに万人受けもしないように思われる。本作は展開に非常に時間のかかるゲームであり、YouTube等のゲーム配信動画では徐々に滅びに向かう展開は見えてこないし、また動画制作の方向性(ポジティヴにわかりやすく作られる)にもそぐわないのではないかと思う。

‒‒
既存のコロニーシムにおいて村人は万能な労働力であり、居るだけで何かしらの役割をもち、価値を生み出す存在であったが、本作ではそうではない。村人は料理などの必須技能に加え、基本的に単一の専門職しか持たないため、二次産業以降については、村の状況によっては採算がとれなかったり、そもそも仕事がない場合がある。

二次産業以降は、産物に機能や価値を付け加えるわけだが、特に新しいプレイヤーの場合、おそらく操業があまりうまくいかない。なぜなら生産チェーンの一部ないし全体が赤字であっても問題が無い場合と、そこが赤字のままでは困るという場合があり、この出血部位の処置が難しいところだからである。簡単に言えば、その産物の入口と出口が確保されている必要がある。すなわち十分な原料生産のバックボーンと、生産物の確実な買い手が必要である。

すこしゲーム内容に踏み込んでしまうが、特に重要性を強調しておきたいのは生産物の出口・買い手の確保である。これは他の村人(主にPeasantとNoble)か、領主(プレイヤー)か、キャラバンとなる。買い手は十分な資金をもち、最終的に商品を消費するか、村外に流通させて村に金をもたらす。商品の流れが生産者の家で止まらないように介入することがプレイヤーの役目である(具体的には、Local BUY ALL --> Caravan SELL ALL など)。また、Tavernを作りNobleの誘致も行って欲しい(Nobleは「特定の機能をもつキャラバン」のように本質的には村外の存在とみなしていい)。

‒‒
さて、全体として、本作は"わからなさ"と格闘するゲームである。村が失敗したことを悟ったとき、ゲームをアンインストールしたくなることもあるだろう。しかしまさにそこが大事なところである。穿ったことを言うと、本作の特徴は「ゲームそのものの問題や、ゲーム開発の方向性以外の理由で落胆できる」ことである。はじめは積極的に村人を支援し、家の床まで貼ってあげていた純朴な領主が、度重なる領地運営の失敗から、しまいには村全体のためだといって村人から家を奪い、家族を離散させ、平然と死なせる選択さえできる冷酷な領主へと変わっていく。私は本作のなかでそうした転回を経験せざるを得なかった。それは実に物語的で、教訓的でもあり、意義のある体験だったと考えている。
Posted December 4, 2022. Last edited December 4, 2022.
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68.5 hrs on record
Early Access Review
本作をプレイしていると、ああすれば、こうすればというゲームの改善に関する想像がかき立てられる。そして、読者の想像力を刺激するような作品のことを優れた作品と呼ぶ。したがって本作は優れた作品といえるだろう。

現在アーリーアクセス中である。既に素性の良いものであるだけに、本作をどこまで発展させるつもりなのか、今後の計画が気になるところである。開発陣は以下のように述べている。
「EA の過程で、私たちは既存のゲームを改良し、洗練するだけでなく、住宅の層を追加し、消費財や生産施設を増やし、石や鉱石などの資源の抽出を拡張する新しい方法でゲーム後半を拡張することを計画しています。」

しかし上記の計画は現在のコンテンツ不足への対応にすぎず、マイナスがゼロになるだけのことである。もう少し本作の世界を拡げるためには、
●1. 交易。輸出入の自由化と大規模化、商人等との契約締結に向けて取り組む
●2. 外交。世界の他勢力のなかでの自分たちの位置づけを示す
●3. 管理。資材の集中(例: 石材)と分散(例: たき木)など流通の基本方針を指示する
●番外. 建設。斜面への直接建設を解禁する

簡単ではあるが、たとえば以上の1‒3のような要素が実装されれば、(ゲーム内時間で)長期的にも遊べるゲームになるように私には思われる。現状では、実装されている最終ティア4 に到達し、エンドコンテンツっぽい略奪"軍"を打ち払い、防衛建築に満足したら大体終わりである。新たな消費財や生産施設を用意したところで、それを活用する局面が無いままでは、依然として作品世界は拡がりを欠いたままとなる。

本作の重要な点として襲撃が挙げられる。襲撃があるからこそ建築に意義が生まれ、目的に対して工夫の余地があるところにプレイヤーの楽しみがある。この戦闘はまた、町の建築や生産の成果を試すためのわかりやすい場でもある。襲撃撃退の見返りがないという現在の課題に対しては、戦闘結果が国際的に意味をもってくるという最近の[信長の野望・新生的な]アイデアは一つの解決策かもしれない。

最後に、ゲームの動作の重さは本作の可能性を制限する、大きな痛手となりうる。私の環境ではだいたい住民 300人を越えたあたりで周期的にカクつくようになり、その辺りがゲーム自体の潮時でもあった。ゲームエンジンはUnityが採用されており、独自制作ではない。おそらくゲームの規模についての理論的限界があり、その制約が今後の展開と最終到達点に関わってくる可能性がある。

先にいくつかアイデアを述べたが、それらの必要性もゲーム規模の拡張次第である。たとえば、たかだか500人の町を開発陣にとっての完成の目安として調整するなら、交易の大規模化はギリギリ無くてもいいかもしれない、など。商業的にはこれ以上新しいことをしなくとも成功するのだろうなと思いつつ、だからこそ、今後良い意味で期待を裏切ってほしいという高望みをしておきたい。
Posted August 24, 2022.
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本作は新しいゲーム体験を提供している。通常、戦術・戦略ゲームは、プレイヤーが全力を尽くすことが前提とされている。つまり、ゲームのメカニクスを理解してプレイングを最適化していくと同時に、困難さも増していく。しかし、詳細は他に譲るが本作はそうではない。多くの作品がそうであったと同様、本作もまた大風呂敷を広げるまではいいが、AIを書いて素材をまとめあげる人材の欠如が作品全体の評価を台無しにしてしまっている印象を否めない。ただ、このことは、新しいやり方で「ストラテジーゲーム」を遊ぶというアイデアの源泉でもあった。

数時間もプレイすれば、プレイヤーは、このゲームはおかしいと気が付くはずだ。特に工夫をせずともプレイヤーに比肩する相手がいなくなるからである。既に多数指摘されている通り、何も考えずに相手の本拠点(セーフハウス)を襲うだけでゲームクリア自体はできるだろうという見込みが、その単調な道のりが、すぐに見えてくる。この時点で本作をやめる人も大勢居るものと想像する。それを踏まえ、プレイヤーは本作をどのように延命し、楽しめばよいか考えることを迫られる。本拠点を襲撃するといったラジカルな手法は避け、それらしいギャングの世界を保ち、演出しながらゲームを盛り上げていくためには、どのような手を打つべきなのか、あるいは拱手傍観すべきなのか。たとえばEU4のようなParadoxの諸作品はプレイヤーの過大拡張をシステム的に戒めることを選んできたが、本作にはそれがない。ここではRPGと銘打たれた作品におけるよりもメタなロールプレイが求められている。

真面目な話、本作の製作に足りなかったのは、料理人や指揮者のような存在である。料理人のいないレストラン、指揮者のいない楽団、これらのありえなさは誰でもわかる。同様に、まともにAIを書ける人がいないゲームスタジオのおかしさも、そろそろ認識されてよいのではないだろうか。たとえばシヴィライゼーションを思い出してみると、ゲームメカニクスやそれを駆使するAIに問題が無ければ、「おつかい」が無くともゲームは成り立つ。本作では、AIをうまく機能させられなかった(ストラテジーゲームにならなかった)がゆえに、それを誤魔化す必要からボスに固有のストーリーが用意されたし、汎用ミッションの種類も増やされた、そういう方向に舵取りがなされたと私は想像する。あまり違いのない部下を多数雇用できるかのような画面(UI)を開発側が推してくるのも、一つの誤魔化しのためであろう。各ミッションにおいても、他プレイヤーとの相互作用や競争といった動的な性質はみられない。単に何かを読まされ、簡単な戦闘を反復するだけとなっており、まるで私たちの部屋にハエを放って「ストラテジーゲーム」には集中できないようにしたかったかのようである。ミッションはゲーム展開とは独立に作られている。だからこそ、ほとんどのミッションに物理的な報酬が用意されることになった。しかしこれによってプレイヤーのみが非対称的に有利になることから、ミッションはゲームの戦略性を失わせている。結論として、彼らがやりたかったであろうことと実際にやっていることは逆になっている。本作の悲惨は不具合の多さによって説明されるべき性質のものではない。

戦術・戦略AI作成技術は昨今のゲームに共通の課題である。それを軽視しながら「ストラテジーゲーム」を標榜して憚らない人々の作品がどのようなものにならざるをえないのか、それを私たちにわかりやすく示したという点で本作には意義があった。
Posted March 14, 2021.
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